閖上中町 太郎丸


文禄慶長(16世紀末)の頃のこと、中町(閖上:ゆりあげ)に太郎丸という持船がありました。石巻から江戸へ御倉米(おくらまい)を運び出す御穀船(ごこくせん)です。

ある日太郎丸に、「びんけろ。」(乗せてくれという意味のゆりあげ方言)といって白髪の老人が現れました。親切な船頭はこれを聞き入れ、八百石の米を積んで石巻を出港しました。

三 日目、一天してにわかにかき曇り、大暴風になってしまいました。そしてかろうじて流れ着いたのが、なんと朝鮮でした。暴風さわぎで誰も気づかないうちに白 髪の老人は、どこへ行ったのか姿を消していました。当時は、豊臣秀吉が朝鮮に事を構え食料にこまっているときでしたので、戦(いくさ)に参加していた伊達 政宗は機転をきかせ、「窮状を知り、仙台領内の船をとくによびよせた。」と言上しましたので、秀吉はことのほか政宗を賞讃(しょうさん)しました。

おおいに面式をほどこした政宗は、太郎丸の船頭を召し出し、次の三つをゆるしました。

- 括り頭巾に大小御免(土下座無用と帯刀許可)
- 領内ふり放し御免(各港係留許可)
- 浜堀使用(用水堀の堀開)

潮水しかない閖上(ゆりあげ)に、中田を水源地とする浜堀を延長し、堀開いたのはこのときで、閖上(ゆりあげ)で農業用水の潅水が終了後、他村で使うという慣例ができたのです。

後に白髪の老人を誰いうとなく、あれはお薬師様だったということになりました。

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