樽水という地名の由来


高舘村の山奥に、どこから来たのかわからない安部貞任・宗任という野武士の兄弟がおり、大舘山に陣を構えだんだん勢力を増し、夜になると農家の田や畑の作物を荒らしていました。

農家の人たちは、せっかく育てた野菜などを根こそぎ持って行かれるため、自分たちの食べ物もなくなる始末でとても困っていました。そのころ東北地方では、そんな悪者どもにどんなことをされても手むかう力がなかったそうです。

と ころが、この悪者どもの話がだんだんと広がり、そんな悪事を働く者を征伐せよと、上方(関西地方)から八幡太郎義家(源義家)と言う武将が来ました。農家 では大喜びでしたが、野武士どもはこれはたいへんと大舘山の周囲を固めたり、食糧を蓄えたりして戦にそなえ準備をしました。

八幡太郎義家は、遠くから来るので大変です。安部貞任・宗任は「関所を越え山を越えて来るだろう。」と油断していました。

軍略の上手な武将八幡太郎義家はそんなことに恐れる武将ではなく、大舘山を攻めて行きました。安部貞任・宗任は、樽に米を入れ水に見せかけてどんどん流したが、鳥がきてつついて見破られてしまいました。
貞任・宗任が樽に米を入れ水に見せかけて流したことから、高舘の奥を樽水と呼ぶようになったということです。

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